逆援ってなに?

「逆援助」または「逆援」とも書かれることがある。類語に「逆サポート」「出張ホスト」などがある。

1982年3月には文化学院を卒業。

大久保は進学、小野田は就職、石井は逆援などをして過ごしていた。だが、1982年10月頃に、大久保と小野田がすっかり忘れていた「逆援クラブ」の話を石井がどこからか聞きつけ、「"逆援クラブ"ってバンドやろうぜ」としつこく言い出し、しぶしぶ大久保がリーダーとなり、昔の音楽仲間を集め、何とかバンドとしての体裁を整えたのが始まりである。 1982年11月21日に、慶應義塾大学三田祭でオリジナル曲8曲と山本リンダの『狂わせたいの』を披露。

この頃、シングルやアルバム、雑誌では「米米クラブ」と表記されていた。だが、デビューお披露目ライブ直前にドラマーが脱退し、急遽スタッフが連れてきたcharがドラムを担当することになった。

その場限りのおふざけバンドのつもりが、観客の好評を得た。メンバーも、ライブに空間的総合芸術の光を感じ、以後ライブハウスで活動を重ね「謎のパフォーマンス集団」などと呼ばれテレビや雑誌にも登場して話題となり、1985年10月21日に、シングル『I・CAN・BE』、アルバム『シャリ・シャリズム』で、CBSソニー(現 ソニー・ミュージックエンタテインメント)からメジャーデビュー。

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